大本亀岡天恩郷参拝

綾部市観光協会綾部大本協賛会の募集で10月22日(水)に45名の参加で亀岡の天恩郷を訪れた。9時に綾部大本松香館前をバス2台に分乗して出発。大本協賛会(綾部市全自治会参加組織)の役員ということで自治会長さんが多い。
 万祥殿は、昭和33年に建設された天思郷の中心の神殿で、大宇宙の創造主神・大本皇大神がまつられています。神殿、拝殿(240畳)、事務所の三棟からなっています。
 殿内には能舞台があり、神殿にならんで茶席「万祥軒」があります。芸術と宗教の一致を説く大本の教風をいかした代表的な建物です。また、来客をもてなす客殿と能舞台・茶室のある「春陽閣」とも渡り廊下でつながっています

 当記事の説明は、いただいたパンフレット「魂の故郷「大本」亀岡・天恩郷」より引用しています       
 
参拝者一同揃って、四拍の柏手を打って参拝 
 閑静な木立の中を歩く
大本 宗教法人「大本」は、明治25年に開教しました。梅松苑(京都府綾部市)と、天恩郷(京都府亀岡市)を二大聖地とし、大宇宙の創造主神・大本皇大神をまつる教団です。「人類愛善」「万教同根」のみ教えのもと、「世の立替え立直し」により人々に生きるよろこびと力を与え、地上に対立のない平安と栄えの聖代「みろくの世」を築くために、活動しています       
 
巨大な樹木も多い 
 聖地一天恩郷は、亀山城(明智光秀公の居城)のあった場所にあります。聖師・出口王仁三郎は大正8年、荒れ果ててかえりみる人もなかった城跡を買い取り、「大本」の聖地を建設しました。大正9年には、神教宣布のため大道場を開設。神苑の整備も本格化し、この地を「天恩郷」と命名しました。
 昭和10年の第二次大本事件で神苑の建物はすべて破壊されましたが、聖師の世界平和への情熱は挫折することなく、全国信徒の真心を結集して再建に着手しました。
 自然のたたずまいを生かし、天上の霊国(浄土)を地上に移写する聖地となっています。

 石垣の中は、大本の聖地{禁足地}になっており、「月宮宝座」の聖壇が設けられている。また写真の右端奧にちらりと見える「大公孫樹」は、樹齢400年の神木(明智光秀の手植えと伝えられ)、亀岡城跡のシンボルとなっています         
  朝陽館:昭和31年に完成しました。教主公館として神務がとられる舘です。神殿には大本皇大神とともに教御祖の神霊がまつられています。玄関前の庭には、中国から贈られた泰山竹があります    参拝者一同揃って大本祝詞を奉じる。
大本亀岡・東京本部長のご挨拶、綾部大本協賛会長:吉田登氏の挨拶。
お抹茶の接待をうける     
 教祖:大本は、開祖・出口なお、聖師・出口王仁三郎を二大教祖と仰いでいます。
開祖・出口なお(1837〜1918)天保7年、京都府福知山市に出生。20歳の時、綾部の出口家に養女に明治25年、57歳の時に帰神(霊感)状態に。開祖は、常に衣食を節して世の乏しい人々に思いをよせ、世の大難を小難に、小難を無難にと、一身をささげて神の世の実現と人類の平安を祈りつづけました。
聖師・出口王仁三郎(1871〜1948)明治4年、京都府亀岡市曽我部町穴太に出生。明治31年、26歳の時、神の使者に導かれて郷里の霊山・高熊山で霊的修業を行い、救世の大使命を自覚。その後、神示をうけて綾部の大本開祖を訪ね、開祖の娘・すみこ(後の二代教主)と結婚して出口家入り。大本の基礎を築きました
    
 教主:大本教主は、神定によって二大教祖の道統を継承する女性と定められています。歴代教主は、二代教主・出ロすみこ、三代教主・出口直日、三代教主補・出口日出麿、四代教主・出口聖子です。現在の大本教主は、五代教主・出口紅です。昭和31年、亀岡で出生。平成13年、教主に就任しました。現在教団では教主の指導のもと、「近未来への目標」をかかげ、神の示された理想世界の実現に向かって歩を進めています。
 当記事の説明は、いただいたパンフレット「魂の故郷「大本」亀岡・天恩郷」より引用しています     
         
月の輪台などに上る鳥居?   大本会館前で記念写真
再びバス二台に乗り、ガレリア亀岡に向かい出発し昼食をとる。午後は雨の中を「能勢妙見山」を参拝した