大本亀岡天恩郷参拝
![]() 万祥殿は、昭和33年に建設された天思郷の中心の神殿で、大宇宙の創造主神・大本皇大神がまつられています。神殿、拝殿(240畳)、事務所の三棟からなっています。 殿内には能舞台があり、神殿にならんで茶席「万祥軒」があります。芸術と宗教の一致を説く大本の教風をいかした代表的な建物です。また、来客をもてなす客殿と能舞台・茶室のある「春陽閣」とも渡り廊下でつながっています。 当記事の説明は、いただいたパンフレット「魂の故郷「大本」亀岡・天恩郷」より引用しています |
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参拝者一同揃って、四拍の柏手を打って参拝 | ||||
![]() 大本 宗教法人「大本」は、明治25年に開教しました。梅松苑(京都府綾部市)と、天恩郷(京都府亀岡市)を二大聖地とし、大宇宙の創造主神・大本皇大神をまつる教団です。「人類愛善」「万教同根」のみ教えのもと、「世の立替え立直し」により人々に生きるよろこびと力を与え、地上に対立のない平安と栄えの聖代「みろくの世」を築くために、活動しています |
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巨大な樹木も多い | ||||
![]() 昭和10年の第二次大本事件で神苑の建物はすべて破壊されましたが、聖師の世界平和への情熱は挫折することなく、全国信徒の真心を結集して再建に着手しました。 自然のたたずまいを生かし、天上の霊国(浄土)を地上に移写する聖地となっています。 石垣の中は、大本の聖地{禁足地}になっており、「月宮宝座」の聖壇が設けられている。また写真の右端奧にちらりと見える「大公孫樹」は、樹齢400年の神木(明智光秀の手植えと伝えられ)、亀岡城跡のシンボルとなっています |
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![]() 大本亀岡・東京本部長のご挨拶、綾部大本協賛会長:吉田登氏の挨拶。 お抹茶の接待をうける |
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![]() 開祖・出口なお(1837〜1918)天保7年、京都府福知山市に出生。20歳の時、綾部の出口家に養女に明治25年、57歳の時に帰神(霊感)状態に。開祖は、常に衣食を節して世の乏しい人々に思いをよせ、世の大難を小難に、小難を無難にと、一身をささげて神の世の実現と人類の平安を祈りつづけました。 聖師・出口王仁三郎(1871〜1948)明治4年、京都府亀岡市曽我部町穴太に出生。明治31年、26歳の時、神の使者に導かれて郷里の霊山・高熊山で霊的修業を行い、救世の大使命を自覚。その後、神示をうけて綾部の大本開祖を訪ね、開祖の娘・すみこ(後の二代教主)と結婚して出口家入り。大本の基礎を築きました |
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![]() 当記事の説明は、いただいたパンフレット「魂の故郷「大本」亀岡・天恩郷」より引用しています |
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月の輪台などに上る鳥居? | 大本会館前で記念写真 再びバス二台に乗り、ガレリア亀岡に向かい出発し昼食をとる。午後は雨の中を「能勢妙見山」を参拝した |