金谷峠(丹波・丹後歴史街道)  山・峠道・滝
小畑の本庄奥を西に進むと金谷峠がある。綾部市の西に張り出した最先端、福知山市との市境である。近くに三角点「宗谷(285.9m)」がある。地元の有志の方の努力で峠道が整備され散策コ−スとして蘇った。このGWに登ってきたので紹介する。
金谷峠(推定標高200m)分岐路の標石(右:おくやま 左:山の口)    
歩いたGPSマップ:金谷とある分岐路を左に山の口に向かい尾根まで登った
 このGWに小畑六左衛門の嫁の実家に通じる「三坂峠」〜空山を散策したあと、時間があったので、小畑町の奧の金谷峠も散策してきた。昼過ぎで峠口の最奧の付近に農家の方が数人居られたので声をかけると、金谷峠の地図と歴史を記したパンフレットをいただいた。
最奧に車を置き、峠道を歩く。小さな砂防ダムがある。
 丹波、丹後歴史街道について
この古道(金谷峠道)は、江戸時代から昭和中期以前の乗り物が発達、普及していない時代に、当時、加佐郡大江町の奥山、奈良原、広畑、尾藤、室尾谷、何鹿郡佐賀村の山野口地区等の親戚、縁者が往来。丹後から海産物、また小畑から生産物の物流の道として盛んに利用されていました。
 また室尾谷の観音寺に八十八ケ所のお大師が祀られ多くの参拝者もあり、古道が大師道とも呼ばれていました。小畑の子供達は、この大師道を通り、観音寺、鬼ケ城へ行くことが遠足の慣例コ−スでもありました。
 更に小畑地区以外の人々も大師詣り、山草採り、福知山への最短距離の道として、買い物、散策等に通行されていました。
 今回2007年(平成19年)11月12日に小畑地区住民の有志が、古道の復旧を願い、繁茂した雑草木を伐採、山道の一部(明治以後大水害で崩壊し新設の作業)、整地、道しるべの設置等を行い、多くの人々に丹波、丹後歴史街道を楽しく散策していただくことにいたしました。
2008(平成20)年2月吉日 丹波、丹後歴史街道保存会
         
少し歩くと「木の切り株で造った腰掛け」が10ヶほど置かれていた   歴史街道 丹波←→丹後 入り口の標柱
奧に見える建造物の中に、金谷峠の由縁を案内する表札が上がっている  
峠の山道は倒木もなく手入れされている  金谷峠の分岐路を左に上がり、室尾谷観音寺のある「山の口」に向かう。地元有志の手で良く整備されている   少し登ると稜線に出る。ここから福知山観音寺に向かい下り坂。日の当たる所まで歩き引き返した。稜線から左に山道があり、枝木を横にして、行かないように示してあった。
先刻登って来た「空山」へ縦走路がある模様。福知山市境の稜線は、−△西四文字山△小西−袋峠−三坂峠△空山−金谷峠−△宗谷−宗谷峠−△宮ケ嶽−と尾根続きで縦走できそうだ  
   1 室尾谷の歴史・言い伝え
  江戸時代の藩制が敷かれた時代の室尾谷南山地区(旧加佐郡河東村)は田辺藩(舞鶴城主)で、巡検師の一行は福知山藩から田辺藩に入る時は鬼ケ城峠を通り(鬼ケ城峠は江戸時代福知山藩から田辺藩へ通じる主要道であった)観音寺で休憩されたと思われる。
  観音寺から金谷峠を通り、小畑〜鍛治量〜新庄〜須波岐〜白道路〜上八田〜七百石〜上杉〜於与岐まで一直線上(金谷峠入口から弥仙山が真直ぐに見える)で、弥仙山から丹後峠を越せば最短距離で田辺城(舞鶴城)へ入城出来たと思われる。
  巡検師が陸路の場合は、大きな川もなく、峠も少ない道で入城されたと思われる。
  室尾谷観音寺は行基菩薩が奈良時代、元明天皇の和銅7年(西暦714年)に開山されたと伝えられています。歴代の田辺藩主は毎年必ず1回参拝されたと記帳されています。
  歴史街道の境界は福知山藩、田辺藩、綾部藩が交わる唯一の地域で、山野口は鉱山の関係で、天領(幕府の直轄地域)であった様です。今思う時、約3kmの範囲内にこの様な重要な地帯があったのかとロマンを感じます。
2 丹波・丹後歴史街道
(1)金谷峠 金谷峠道は江戸時代から多くの人々の往来があり、峠道を越え下った終点に室尾谷観音寺があり、四国八十八ヵ所の霊場(大師)が祀られ、参拝者が多く大師道とも呼びました。又、由良川を利用して船で由良から有路まで魚、塩、海産物等を運び、有路から陸路で金谷峠越えで運び込まれた。丹波・丹後の境界には金谷、山野口、室尾谷の三ケ所に、鉱山が有り、茶店・女郎屋が有り、その名残で通称名で女郎が谷の地名が残っています。
  峠道は尾根より右に奥山・奈良原、左に山野口、真直ぐに室尾谷の四集落に出る事が出来ました。小学校の遠足時はお寺参りや鬼ケ域登りは山野口経由で、また由良川遊びは奥山越しと別れて行きました。
  明治41年の大水害で草折峠の山崩れで、金谷から室尾谷までの一部区間の山道が無くなっていました。丹波・丹後の境界線にある歴史街道を約100年振りに2007年(平成19年)12月に地域住民の25名の作業で無事開通する事が出来ました。この歴史街道は、両入口付近は登坂道で、大半は尾根伝いの起伏が少ない約3kmの道中で新緑、紅葉の時期には、森林浴を楽しむ絶好の散歩道です。是非散歩して下さい。
(2)薬師如来堂(最終民家の右隣) 立派な薬師如来像が祀られ、金谷の薬師さんと呼ぱれ、鼻、耳、母乳の仏様として、穴の通った小石をお供えすると願いが通じると言われ、親しまれ、多くの人達のお参りが有りました。横にはお地蔵(石像)も祀られています。是非お参り下さい。
(3)不動明王(最終民家の右上の谷)不動明王が大きな岩の上に2対祀られ、奈良県の大嶺山に参拝する前に身を清め、道中の安泰を祈願された。又願い事をすれば必ず通じると多くの人達が参拝されました。
(4)宗谷峠 この峠は河守に出る一番の近道ですが、現在は雑草本の繁茂で通行不能です。
(5)河守地区(現在の大江町)は、真中を由良川が流れ大雨の度に水害に遭い、水稲が壊滅状態となった事で、小畑地区は肥沃な土地柄で見た目より多くの米が収穫され、余剰米を夜、人目を忍んで牛の背中に俵を乗せて売りに行ったと古老の方に間きました。
   [丹波良い所、米所、嫁にやりたや、婿ほしや]のことわざがあります。
        
金谷峠に咲いていたレンゲソウ    ジロボウエンゴサク?
ムラサキケマン?
紫鷺苔(むらさきさぎごけ)
tomato0714様「風景の色見本」、から「スミレ」でなく、「ムラサキサギゴケ」と、下記の花図鑑URLを教わりました。有り難うございました。
http://yoshino.hobby-web.net/hana/spring2/murasakigoke.html
花の形が鷺に似ているからこの名前になったようです    
白い花
ユリワサビ?