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なべちゃんの散歩道
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ジャンル:海外旅行
Blog数:103件
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2007/08/09のBlog
サロ-イン・ステ-キを切り分けながら焼く。その間、包丁などの鳴り物、胡椒瓶のジャグリング等のパフォ-マンス演出もたっぷり振る舞われる。
焼き上がる中で最初に聞かれた「焼き加減:レア・ミディアム・ウエルダン」の好みに応じて、各自のお皿に配られる
チャ-ハン
もやし
チャ-ハンの仕上げ。茶碗に盛ってくれる。家内はロブスタ-もステ-キも食べきれずに私の方に回ってきた。こちらも満腹で無理
料理人の後ろには「風林火山」の色紙と和太鼓が飾られていた。
風林火山は、甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物に記された「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の通称
一日目の夕食は、結婚する姪のフィアンセの案内で、オリオリ・トロ-リに乗り、繁華街のDFSギャラリア・ワイキキで降り、ワイキキ・ショップ・ブラザ4Fにあるレストラン「田中オブ東京」に行った。
C型に折れる長いテ-ブルのスタンドに座り、各自注文の飲み物が揃ったところで乾杯。料理人が二人立ち、各自の焼き加減を確かめる。私はミディアム、家内はウエルダンと注文する、初めにタマネギを二つ切りにして重ねて置き、中心にアルコ-ルを注ぎ火を付けると、白煙に包まれ猛烈な噴火を起こす。さしずめキラウエア火山ボルケィノのイメ-ジを演出。度肝を抜く。包丁を楽器替わりに撃ち合わせて鳴らしたり、ジャグラ-もどきに調味料容器をお手玉にとって、パ-フォ-マンスたっぷりの売り物料理だった
見事なロブスタ-・テイル
ホタテ
ロブスタ-を切り分ける
みそ汁、サラダ、シュリンプ・アペタイザ-、鉄板焼き野菜、サ-ロイン・ステ-キ、ホタテ・ハ-フ、ロブスタ-・テイル、ご飯、漬け物、デザ-ト、お茶
焼けたロブスタ-やホタテを皿に盛ってくれる。ついでにロブスタ-の皮も
ホノルル空港からアロハタワ-・マ-ケット・プレイスに着き昼食をとる。’OLI’OLIランチを、エンジョイ・ク-ポン券を使って食べた。新鮮なシ-フ-ドを使った海鮮中華が味わえる海の見える店であった
デザ-ト
2007/08/08のBlog
出発点の登山口に辿り着き、ダイヤモンド・ヘッドのハイキング終了。三角塔の案内板を写真に撮る。内容はパンフレットと同じ
駐車場からダイヤモンド・ヘッドを見上げる
青空の中、鳥が山の上を舞っていた
四層建ての砲撃統制所の各階を繋ぐ螺旋階段を下り、最下層の階から外へ出て、99段ある狭い急な階段を下りる
ダイヤモンド・ヘッド山の火口壁内部に開いたカハラ・トンネルに続く車道や、遠くオアフ島の陸と湾が見通せ非常に眺めがよい
トンネルから出て階段を下りる
つづら折れの山道をおりる
広いコンクリ-ト歩道を登山者と下山者が行き交う
2007/08/07のBlog
ダイヤモンド・ヘッド頂上の展望台から。最高の素晴らしい眺め
噴火口外輪山の山頂と砲撃統制所の最も高いところは標高761フィート(230メートル)にあります。
噴火口の周縁には1915年に地上よりの攻撃に備えて設けられた掩蔽壕(トーチカ)の一部が見えます。
ワイキキ湾内の海岸と高層ビルが一望に
下山にとりかかる
99段ある真っ直ぐの急な階段を下りる
初期の歴史
 一説によると火の女神ペレの妹、ヒイアカが、この山頂がまぐろ(ahi)の額(lae)のような形をしているので「レアヒ(Leahi)」と名付けたと言い伝えられています。別の説によるレアヒの意味は火の岬、すなわち島の沿岸を航行するカヌーを助けるために山頂に灯された航海標識の火を指すものといわれています。山頂にある祭祀場は下から吹き上げる強風によってその火が消されないように保護を願って風神に捧げられたものと言われています。 1917年にダイヤモンド・ヘッド灯台が建てられました。
 1700年代後期の西欧の探検家や商人達が、この山を訪れて噴火口壁面の岩石の中に光る方解石の結晶をみつけ、ダイヤモンドと見誤ったことから、"ダイヤモンド・ヘッド"と呼ばれるようになったのです。
写真:頂上の展望台に着いた
頂上からの眺め、住宅街が広がっている
住宅団地が広がる
ワイキキの高層建築と海岸が見通せる
青い海の広がる地平線
2007/08/06のBlog
76段の急勾配のコンクリートの階段を登りつめ、225フィート(約70メートル)もある狭いトンネルを通り、真っ直ぐに続く99段もある第2の階段を上り詰める。大変なアルバイトである。ここがワイキキにあるデルーシー要塞の観察器材が設置されていた攻撃統制所の最下層の階への入り口
そして四層建ての砲撃統制所の各階を繋ぐ螺旋階段を昇降する人の波を交互に待ちながら登る。最上部の部屋はコンクリ-トで巻かれたト-チカの中だった。狭い部屋の片隅で小さなデスクを置き「ダイヤモンド・ヘッド訪問証明書」を発行していた。さらに昔は鉄よろい戸でふさがれていた細い小窓から噴火口の外側に這い出す。頭上は、コンクリ-トでカムファラ-ジュされた岩石の庇なので這って外に出る
這い出した途端に視界が開けた。眼下はブル-の珊瑚礁に打ち寄せる白波の立つ海岸。赤く塗られた先端を持つ灯台が立っていた。視界は地平線まで広がる
足下に高層ビルも見える
非常に眺めがよい
頂上に続く遊歩道を進む
自然環境
 非常に雨の少ない気候と険しい岩山の斜面、層の薄いダイヤモンド・ヘッドの土壌に育っているのは、潅木と草本類が大部分です。植物学者によると噴火口のある辺りは、以前森林でおおわれていたとのことですが、現在ではわずかな種類のハワイ原産の植物が噴火ロの斜面に残存しているにすぎません。 1900年代の初め頃まで雨水が火口の底にたまって小さな湖を作り、そこにはハワイ原産のカモやクイナの種類であるオオバンやパンが繁殖に訪れていたということです。
 今皆さまが噴火口辺りで見かける動植物は1800年代以後ハワイに入ってきたものです。木のなかで特に多いのは豆科のメスキートの仲間であるキアベ(Kiawe)とコア・ハオレ(Koa haole)です。これらはもともと牛の飼料としてハワイに持ってきたものが、高温で乾燥している気候によく適合したものです。
 火口附近では、元来は外来種で今では普通に見られるようになった赤と灰色の二種のカーディナル、やかましいマイナー、ハト、すずめなどを見かけられるでしょう。
写真:トンネルを目指して山道を登る行列。降りてくる人も多い
トンネル手前左手に展望台がある。76段の急勾配のコンクリートの階段を登りつめると最初のトンネルに達します
展望台からの眺め
火口を囲む外輪山の頂上にも砲台が見える
ここから先は225フィート(約70メートル)もある狭いトンネルを通ります
2007/08/05のBlog
どのようにしてダイヤモンド・ヘッドは形成されたか
 際立って目立つ海側の山頂、深く浸蝕された山肌そして卵形の噴火口はレアヒ(マグロの額とハワイ人が呼んだこの山の名称)の非常に活発な地質学的活動の歴史を示しています。オアフ島の形成は約250万年から300万年前に起こった二つの火山の噴火によるものです。その後長期の浸蝕が続いた後に火山のなごりとしてコオラウとワイアナエ山系が残りました。
 その後約200万年にわたる火山活動の休止の後にコオラウ山系の南東の端が噴火しましたが、海岸に近かった為にマグロが水と水蒸気により灰と微粒子になりました。空気中に吹き上げられた微粒子が結合して疑灰岩となり、レアヒ(ダイヤモンド・ヘッド)の火口丘を形成したのです。
 ダイヤモンド・ヘッドは約30万年前に起こった、ただ一度の短期間の噴火によって形成されたと考えられています。広い受皿型の噴火口は350エーカー(1.4平方キロ)の広さにわたり、その横幅は深さより大きいのです。外輪山の南西部が最高頂となっています。その理由は噴火中に風によって灰がその方向に吹きつけられたからです。
噴火の後、火口の外壁は風雨や打ち寄せる波により浸蝕され、風化されました。現在はサンゴ礁が噴火口の海に面した斜面を浸蝕から守っています。
 現在ダイヤモンド・ヘッドはハワイで特に有名で最も写真に撮影される名所になっています。
 疑灰岩により形成された火口丘として独特な浸蝕の型を示すすぐれた一例として1968年に国立の自然史跡に指定されました。
写真:山道を歩く
登ってきたコ-スが下に広がる
この自然の山道は1908年に造られたままのもので、噴火口内壁の急な斜面を登るため曲折の多い道になっています
ネットで頑丈に保護されている
つづらおれで山道を登っていく。クリック拡大すると、最上部まで人の行列が何段にも折れ曲がりながら、延々と続いているのが判る
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