オアフ島観光04 (ダイヤモンドヘッド 観光登山)

ダイヤモンドヘッド  ハワイ・オアフ島滞在3日目は、宿泊したプリンスホテル・ワイキキ発一番目のオレオレ・トロ−リ−に乗り、ダイヤモンド・ヘッド(レアヒ)州自然記念公園登山に向かった。オアフ島一番の観光名所である。     
         
緑の樹木の美しいワイキキ市街を走る   高層ビルと樹木の調和が素晴らしい   こんな見事な公園が各所に見られる   ワイキキ動物園ワイキキ水族館前を過ぎるとダイヤモンド・ヘッドが目前に見えてきた   火口を貫く「カハラ・トンネル」を通り広い火口内のバス停に到着。環境協力金1$を払いパンフレットをもらう。この小さな建物(インフォ−メ−ション・センタ−)のゲ−トが登山口  
これらの資料は、「ハワイ州ダイアモンド・ヘッド(レアヒ)州自然記念公園 ハワイの壊れやすい自然環境のために」のパンフレットからです
山頂への道  ダイヤモンド・ヘッドの山頂への道は、最初1908年に一連の米国陸軍沿岸防衛設備の一部として建設されたものです。噴火口の北にあるルーガー要塞からカパフル・トンネルを通って火口内に入り、火口を横切って険しい火口西側の内壁を一歩一歩登って山頂に達するものです。この曲折の多い山道は当初ラバと人足のために計画されたものです。山頂の攻撃統制所建設のための資材をラバがこの道を通って運び上げたのです。その他の建設資材は火口底面からウインチとケーブルで山道の中間地点まで引き上げられました。 1940年代にカハラ・トンネルが建設されて火口への公共の入り口となって以来、それまでとは別のルートで山道に達しています。   
         
火口内の駐車場から「ダイアモンド・ヘッド」を見上げる   出発地点の花   ハイキング出発地点(登山口) コンクリ−ト登山歩道   登山歩道をあるく   サボテン?枯れたような草が道際に植生  
どのようにしてダイヤモンド・ヘッドは形成されたか
 際立って目立つ海側の山頂、深く浸蝕された山肌そして卵形の噴火口はレアヒ(マグロの額とハワイ人が呼んだこの山の名称)の非常に活発な地質学的活動の歴史を示しています。オアフ島の形成は約250万年から300万年前に起こった二つの火山の噴火によるものです。その後長期の浸蝕が続いた後に火山のなごりとしてコオラウとワイアナエ山系が残りました。
 その後約200万年にわたる火山活動の休止の後にコオラウ山系の南東の端が噴火しましたが、海岸に近かった為にマグロが水と水蒸気により灰と微粒子になりました。空気中に吹き上げられた微粒子が結合して疑灰岩となり、レアヒ(ダイヤモンド・ヘッド)の火口丘を形成したのです。
 ダイヤモンド・ヘッドは約30万年前に起こった、ただ一度の短期間の噴火によって形成されたと考えられています。広い受皿型の噴火口は350エーカー(1.4平方キロ)の広さにわたり、その横幅は深さより大きいのです。外輪山の南西部が最高頂となっています。その理由は噴火中に風によって灰がその方向に吹きつけられたからです。
噴火の後、火口の外壁は風雨や打ち寄せる波により浸蝕され、風化されました。現在はサンゴ礁が噴火口の海に面した斜面を浸蝕から守っています。
 現在ダイヤモンド・ヘッドはハワイで特に有名で最も写真に撮影される名所になっています。
 疑灰岩により形成された火口丘として独特な浸蝕の型を示すすぐれた一例として1968年に国立の自然史跡に指定されました。   
         
山道を歩く   登ってきたコ−スが下に広がる   この自然の山道は1908年に造られたままのもので、噴火口内壁の急な斜面を登るため曲折の多い道になっています  ネットで頑丈に保護されている   つづらおれで山道を登っていく。クリック拡大すると、最上部まで人の行列が何段にも折れ曲がりながら、延々と続いているのが判る  
自然環境  非常に雨の少ない気候と険しい岩山の斜面、層の薄いダイヤモンド・ヘッドの土壌に育っているのは、潅木と草本類が大部分です。植物学者によると噴火口のある辺りは、以前森林でおおわれていたとのことですが、現在ではわずかな種類のハワイ原産の植物が噴火ロの斜面に残存しているにすぎません。 1900年代の初め頃まで雨水が火口の底にたまって小さな湖を作り、そこにはハワイ原産のカモやクイナの種類であるオオバンやパンが繁殖に訪れていたということです。
 今皆さまが噴火口辺りで見かける動植物は1800年代以後ハワイに入ってきたものです。木のなかで特に多いのは豆科のメスキートの仲間であるキアベ(Kiawe)とコア・ハオレ(Koa haole)です。これらはもともと牛の飼料としてハワイに持ってきたものが、高温で乾燥している気候によく適合したものです。
 火口附近では、元来は外来種で今では普通に見られるようになった赤と灰色の二種のカーディナル、やかましいマイナー、ハト、すずめなどを見かけられるでしょう。   
         
トンネルを目指して山道を登る行列。降りてくる人も多い   トンネル手前左手に展望台がある。76段の急勾配のコンクリートの階段を登りつめると最初のトンネルに達します   展望台からの眺め   火口を囲む外輪山の頂上にも砲台が見える   ここから先は225フィート(約70メートル)もある狭いトンネルを通ります  
76段の急勾配のコンクリートの階段を登りつめ、225フィート(約70メートル)もある狭いトンネルを通り、真っ直ぐに続く99段もある第2の階段を上り詰める。大変なアルバイトである。ここがワイキキにあるデルーシー要塞の観察器材が設置されていた攻撃統制所の最下層の階への入り口
そして四層建ての砲撃統制所の各階を繋ぐ螺旋階段を昇降する人の波を交互に待ちながら登る。最上部の部屋はコンクリ−トで巻かれたト−チカの中だった。狭い部屋の片隅で小さなデスクを置き「ダイヤモンド・ヘッド訪問証明書」を発行していた。さらに昔は鉄よろい戸でふさがれていた細い小窓から噴火口の外側に這い出す。頭上は、コンクリ−トでカムファラ−ジュされた岩石の庇なので這って外に出る    
         
76段の急勾配のコンクリートの階
 
細い小窓から這って外に出る
這い出した途端に視界が開けた。眼下はブル−の珊瑚礁に打ち寄せる白波の立つ海岸。赤く塗られた先端を持つ灯台が立っていた。視界は地平線まで広がる  足下に高層ビルも見える   非常に眺めがよい   頂上に続く遊歩道を進む  
初期の歴史  一説によると火の女神ペレの妹、ヒイアカが、この山頂がまぐろ(ahi)の額(lae)のような形をしているので「レアヒ(Leahi)」と名付けたと言い伝えられています。別の説によるレアヒの意味は火の岬、すなわち島の沿岸を航行するカヌーを助けるために山頂に灯された航海標識の火を指すものといわれています。山頂にある祭祀場は下から吹き上げる強風によってその火が消されないように保護を願って風神に捧げられたものと言われています。 1917年にダイヤモンド・ヘッド灯台が建てられました。
 1700年代後期の西欧の探検家や商人達が、この山を訪れて噴火口壁面の岩石の中に光る方解石の結晶をみつけ、ダイヤモンドと見誤ったことから、"ダイヤモンド・ヘッド"と呼ばれるようになったのです。    
         
頂上の展望台に着いた   頂上からの眺め、住宅街が広がっている   住宅団地が広がる   ワイキキの高層建築と海岸が見通せる   青い海の広がる地平線  
         
ダイヤモンド・ヘッド頂上の展望台から。最高の素晴らしい眺め
噴火口外輪山の山頂と砲撃統制所の最も高いところは標高761フィート(230メートル)にあります  
噴火口の周縁には1915年に地上よりの攻撃に備えて設けられた掩蔽壕(トーチカ)の一部が見えます   ワイキキ湾内の海岸と高層ビルが一望に   下山にとりかかる   99段ある真っ直ぐの急な階段を下りる  
         
四層建ての砲撃統制所の各階を繋ぐ螺旋階段を下り、最下層の階から外へ出て、99段ある狭い急な階段を下りる   ダイヤモンド・ヘッド山の火口壁内部に開いたカハラ・トンネルに続く車道や、遠くオアフ島の陸と湾が見通せ非常に眺めがよい   トンネルから出て階段を下りる   つづら折れの山道をおりる   広いコンクリ−ト歩道を登山者と下山者が行き交う  
         
出発点の登山口に辿り着き、ダイヤモンド・ヘッドのハイキング終了。三角塔の案内板を写真に撮る。内容はパンフレットと同じ   登山口に立つ案内板 駐車場からダイヤモンド・ヘッドを見上げる   青空の中、鳥が山の上を舞っていた  
貰ったパンフレット    
 ハイキング
 山道入り口より山頂までの距離は片道0.7マイル(1.1キロ)で火口底面から山頂までの高さは560フィート(170メートル)あります。山道は平坦でない急な岩山をたどりますので充分な注意と適切な靴が必要とされます。山道の一部には急勾配の階段がありますが、急がずに充分時間をかけて登って下さい。山道の他の部分では長く狭いトンネルを通ります。附近の気温は常に高いので、帽子、サンスクリーンと充分な飲み水の用意をお
すすめします。1時間半から2時間をかけてゆっくり快適なハイクを楽しんで下さい。 
レアヒはこわれやすい自然資産です。道をはずれた近道をしないできまった道を歩くことによって植物を守り、山肌の浸蝕を防ぐことができます。御協力ください
 安全なハイクをするために
●次の様な準備をしましたか?
適当な靴。飲み水。
●指定された山道からはずれないこと。近道をすると、それが侵蝕をはやめ、又落石をおこし他のハイカーを危険にさらします。
●立入禁止の場所には入らないで下さい。アンテナからの潜在性放射線の可能性があります。
●トンネルの門は午後6時に閉門します。時間に注意して門内に閉じ込められないように!
●持って来た物は総てお持ち帰りください。ゴミをすてないで下さい。
●歴史的建造物を傷つけないようにして下さい
●緊急事態の際は911に電話をして下さい。
 山道沿いの注目すべき地点
1.噴火口の底面にある駐車場から山道への入り口は、標高200フィート(61メートル)の位置にあります。
2.コンクリートで舗装された部分の歩道は最近になってこれまでの山道の浸蝕を防止するために設けられたものです。ピストル射撃場跡の土手が山道の下部に沿ってみられます。
3.この自然の山道は1908年に造られたままのもので、噴火口内壁の急な斜面を登るため曲折の多い道になっています。
4.展望台となっている砦のコンクリート台座は、この上に設置したウインチとケーブルで資材を噴火口の底面から山道の中間地点まで引き上げるのに造られたものです。
5.76段の急勾配のコンクリートの階段を登りつめると最初のトンネルに達します。
6.ここから先は225フィート(約70メートル)もある狭いトンネルを通ります。
7.第二階段は99段あります。階段の上方にわたされた横木はカムフラージュを支えるためのものです。
8.この階段の頂上はワイキキにあるデルーシー要塞の観察器材が設置されていた攻撃統制所の最下層の階への入り口になっています。
9.このらせん階段は四層建ての砲撃統制所の各階に連結しています。三階に行くとそこに設置されていた観察機械を固定した受台が今も残っています。
10.昔は鉄よろい戸でふさがれていた細い小窓から噴火口の外側に出ます。この建物の海に面した外側が岩石のコンクリートでカムフラージュされているのをごらん下さい。
11.昔からの頂上への梯子段が1970年代にハイカー達の安全のために金属製階段に取り替えられました。
12.噴火口外輪山の山頂と砲撃統制所の最も高いところは標高761フィート(230メートル)にあります。噴火口の周縁には1915年に地上よりの攻撃に備えて設けられた掩蔽壕(トーチカ)の一部が見えます。
 軍事上の歴史
 ココヘッドからワイアナエまでの全景を一望できるダイヤモンド・ヘッドの山頂はオアフ島の沿岸防衛には理想的な場所です。
 1904年にダイヤモンド・ヘッドは連邦政府に買い上げられて限定された軍用地に指定されました。 1908年には大砲の砲台とカパフル・トンネルとして知られているルーガー砦から火口北壁をつらぬいて火口内に通じるトンネルの建設によりダイヤモンド・ヘッドの要塞化がはじめられたのでした。
 全部で五箇所の沿岸防備用の大砲を設置する砲台がダイヤモンド・ヘッド噴火口に建設されました。それらは1910年北側の外壁に設けられたハーロー(Harlow)砲台、1913年に火口の東側の壁をつらぬいて造られた、ドッジ(dodge)砲台とヒューリングス(Hulings)砲台、1916年、火口内の地下深くに造られたバークハイム(Birkhimer)砲台、及び1943年に火口南壁をつらぬいてつくられた407砲台です。
 ダイヤモンド・ヘッド砲撃統制所は1908年から1909年にわたり山頂に建設され、そこには数個所にある砲台からの大砲射撃を指揮するための器械や計画室を内載しています。
 この観察所から監視人が射撃目標を三角測量で測定して、ワイキキにあるデルーシー砦のランドルフ及びダドレー砲台、火口外壁にあるルーガー砦のハーロー砲台からの砲撃を指揮できるのです。四階層から成る攻撃統制所はその外部を砕石を埋め込んだコンクリートでカムフラージュされています。各階にある細長い窓からは海側が望めて海と空からの敵襲にそなえることができるようになっています。砲撃統制所の四階各層と山頂の間は、らせん階段と梯子で連結されています。
 1915年頃、長距離砲が火口外壁斜面に設置されたことにより沿岸防衛が更に強化されました。ダイヤモンド・ヘッドにはオアフ島を外部からの攻撃から守るための準備がされましたが、戦時中、一度もここから砲撃をすることはありませんでした。
 ダイヤモンド・ヘッドの軍事施設は、ルーガー砦歴史地区の一部です。
 これ以上の情報を知りたい方は:ハワイ州土地・自然資源局 州公園部
 Department of Land & Natural Resources Division of State Parks 1 1 5 1 Punchbowl Street, Room 310(P.0.Box 621) Honolulu, HI 96809
電話(808)587-0300に問い合わせてください。