2007  興福寺、薬師寺、唐招提寺を拝観

興福寺とその周辺   JR特急で京都駅に着き、近鉄特急奈良行きに乗り込んだ。座席指定・特急券を持たない人は別の列車に乗り換えるよう車内放送があったが、車両はガラガラで2人組2席しか人が乗っておらず、車内検札か着駅精算で特急券を払うつもりで居座った。案の定車掌が通りかかったので呼び止めて特急券を購入した。通勤列車は超満員にしても、正月2日目の朝に、こんなガラガラの列車を走らせていて採算が合うのかと心配した。
奈良駅を出ると奈良公園はすぐ近くで興福寺がそこにあった
         
北円堂(国宝)
養老5年(721)に元明・元正天皇によって藤原不比等の1周忌に創建された。現在の建物は承元4年(1210)頃の再建。堂内にぱ本尊弥勒如来像(国宝)、法苑林・六妙相菩薩像、無著・世親菩薩像(国宝)、四天王像(国宝)が安置されている。春と秋の特別の期間だけ公開される。(会期は毎年変るのでお問い合せ下さい。)  
背景の若草山に雨上がりのガスがかかり、興福寺五重塔を撮る   三重塔(国宝)
崇徳天皇の中宮皇嘉門院藤原聖子が康治2年(1143)に創建。現在の建物は鎌倉時代初期の再建。初層内陣には薬師如来(東)釈迦如来(南)、阿弥陀如来(西)、弥勒如来(北)を各千体づつ極彩色で描く板絵がある。また東面には弘法大師が勧請したと伝える窪弁才天と十五童子像を安置。毎年7月7日に特別開扉  
お地蔵さんが雨に打たれている。次々にお詣りのひとが訪れる   南円堂(重要文化財)
西国三十三所観音霊場第九番札所。弘仁4年(813)に藤原冬嗣が父内麻呂のために創建した。現在の建物は寛保元年(1741)に立柱され、宝暦12年(1762)に瓦が作られた。堂内には本尊不空羂索観音像(国宝)、四天王像(国宝)を安置。毎年10月17日に特別開扉  
        東金堂(国宝)
興福寺には金堂が3つあり、この建物は束に位置するので東金堂と呼ばれる。神亀3年(726)に聖武天皇が元正天皇の病気平癒を願って造立された。現在の建物は応永22年(1415)の再建。
堂内には本尊薬師如来像(重要文化財)、日光・月光菩薩像(重要文化財)、文殊菩薩・維摩居士像(国宝)、十二神将像(国宝)、四天王像(国宝)を安置。※常時開扉午前9時〜午後5時
  
奈良興福寺、五重塔と東金堂     五重塔(国宝)
天平2年(730)に光明皇后によっで創建された。現在の塔は応永33年(1426)に再建された日本第2位の高塔(50.1m)だが、猿沢池畔から見上げる雄姿は古都奈良が誇る絶妙の風景。初層内陣には薬師三尊像(東)、釈迦三尊像(南)、阿弥陀三尊像(西)、弥勒三尊像(北)を安置  
鹿せんべいに群がる  
興福寺国宝館
 奈良時代から伝わる彫刻・絵画・書跡・工芸・考古資料など興福寺の寺宝を収蔵し、また広く一般に 公開し、仏教への理解を深めていただくために、昭和34年に開館された。有名な阿修羅像などの乾漆八部衆像(奈良時代 国宝)、須菩提像などの乾漆十大弟子像(奈良時代 国宝)、銅造仏頭(白凰時代 国宝)、板彫十二神将像(平安時代 国宝)、木造薬師如来像(平安時代 重要文化財)、木造千手観音像(鎌倉時代 国宝)、木造金剛力士像(鎌倉時代 国宝)、木造天燈鬼・竜燈鬼像(鎌倉時代 国宝)、また銅造梵鐘(奈良時代 国宝)、華原磐(奈良時代 国宝)、銅造燈龍(平安時代 国宝)など常設陳列の他、特別陳列も行われる。※常時開館午前9時〜午後5時   
         
奈良駅を出ると奈良公園はすぐ近く   鹿センベイの売店   名勝:奈良公園の標石
奈良公園案内図
興福寺国宝館特別展示「興福寺の絵馬展」
興福寺仏教文化講座  
近鉄奈良駅の横は商店街で、その中にある食堂は、いずれも11時半開店とのことで、しばらく付近の店舗を見てまわってから昼食をとった。正月の花が綺麗に咲かせてあった  
薬師寺で平山郁夫画伯の大唐西域壁画」を拝観    
         
近鉄奈良駅から西大寺で乗りかえて、西の京で降りると目の前に薬師寺があった。雨の中を一般公開中の「平山郁夫画伯の描かれた大唐西域壁画」を拝観にあるく   玄奘三蔵院伽藍・大唐西域壁画殿
玄奘三蔵院伽藍中央の玄奘塔は、法相宗の始祖・玄奘三蔵のご頂骨を真身舎利として奉安し、須弥壇には玄奘三蔵訳経像をお祀りしています  
また大唐西域壁画殿は、平山郁夫画伯が30年の歳月をかけ完成させた玄奘三蔵求法の精神を描いた壁画を絵身舎利(えしんしゃり)とお祀りするものです。
*玄奘三蔵院伽藍・大唐西域壁画殿は春季・秋季に一般公開致します  
本坊事務所には、お写経道場があり賑わっていた。広いお写経場はほぼ満員で元日2日目の書き初めの気分も合わせて味わえる熱意が伝わってきた   玄奘三蔵院伽藍の境内から山門を通り白鳳伽藍に向かう  
薬師寺略縁起
薬師寺は天武天皇により発願(680)持統天皇により本尊開眼(697)さらに文武天皇の御代に至り、飛鳥の地において堂宇の完成を見ました。その後、平城遷都(710)に伴い現在地に移されたものです。
当時は南都七大寺の一つとして、その大伽藍はわが国随一の荘美を誇りました。すなわち金堂を中心に東西両塔、講堂、回廊が立ち並び、なかでも裳階(もこし)を施した金堂や塔のたたずまいの美しさは「竜宮造り」と呼ばれて人々の目を奪いました。
爾来1300年を経、この間、幾多の災害を受け、特に享禄元年(1528)の兵火では、東塔(国宝・白鳳時代)を除く諸堂が灰燼に帰しました。
昭和42年、高田好胤管主により薬師寺白鳳伽藍の復興が発願されました。失われた堂塔の復興を薬師寺の大悲願とし、お写経勧進によって、金堂、西塔、中門、回廊、更には平成15年3月に大講堂が復興され、白鳳伽藍の輪奐美(りんかんび)として蘇りました。
現代の日本人の浄らかな心の結晶が、堂塔伽藍のたたずまいとして未来の人々に継承されることを願い、薬師寺では皆様の更なるお写経のご結縁を願っております
         
金堂
金堂は薬師寺縁起によると二重二閣、五間四面、瓦葺きの建物で各層に裳階をつけた美しい堂で、竜宮造りと呼ばれています。薬師寺白鳳伽藍は金堂を初めとして東塔の意匠ですべて統一されています。また「堂内の荘厳は美をつくし、灯火がなくても金色に光り輝いた」と伝えられています  
東塔(国宝・白鳳時代)
 各層に裳階(もこし)をつけているため六重に見えますが三重の塔です。この特異な形が、全体として律動的な美しさを保ち、“凍れる音楽”という愛称で親しまれています。相輪の頂上に取り付けられた水煙は4枚からなり、その中には24体の飛天か透かし彫りされています  
東院堂(国宝・鎌倉時代)
東院伽藍は養老年間に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り、発願建立されたものです。奈良時代の位置は東側(現在の観音池)にあり、南を向いて建てられていましたが、天禄4年(973)の火災で焼失、弘安8年(1285)現在の地に建てかえられた国宝の建物です。
奈良時代は土間が通常ですが、板床を敷き東院禅堂と呼ばれたことを考えると、鎌倉時代には禅の影響があったと思われます  
中門像(右)   中門像(左)  
聖観音菩薩像(国宝・白鳳時代〉
このお像の若さの中に漂う気品と端麗さは、文字通り「祈りが昇華してゆく崇高なお姿」といえましょう。肩のあたりまで幾筋かにわかれて下がる垂髪、二重の首飾り、透きとおるような衣服、花びらのような繊細で美しい指の動き、そして直立不動の直線的な姿勢。これらは、初唐時代に中国を通って流れてきたインドのグプタ王朝の影響を強く受けています   
         
金堂
金堂は薬師寺縁起によると二重二閣、五間四面、瓦葺きの建物で各層に裳階をつけた美しい堂で、竜宮造りと呼ばれています。薬師寺白鳳伽藍は金堂を初めとして東塔の意匠ですべて統一されています。また「堂内の荘厳は美をつくし、灯火がなくても金色に光り輝いた」と伝えられています  
薬師三尊像く国宝・白鳳時代)
薬師如来を中央に、向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩、あわせて薬師三尊と申します。薬師如来は、東方浄瑠璃浄土の教主で、またの名を医王如来とも言い、私たちの身と心の病気を救ってくださる仏さまです。脇侍の日光・月光両菩薩は、動きのある美しい姿で、理想的な写実美を完成した仏さまといわれています。あたかも今造られたかのような美しいお姿は、世界でも最高の仏像と仰がれています  
西塔
西塔は享禄元年に兵火で焼失し、唱和56年4月に453年ぷりに創建当初の白鳳様式をもって復興されました。華麗な西塔が長年の風雪に耐えた東塔と並び立つさまは、大変印象的な光景といえましょう  
東塔(国宝・白鳳時代)
 各層に裳階(もこし)をつけているため六重に見えますが三重の塔です。この特異な形が、全体として律動的な美しさを保ち、“凍れる音楽”という愛称で親しまれています。相輪の頂上に取り付けられた水煙は4枚からなり、その中には24体の飛天か透かし彫りされています  
大講堂
大講堂は、正面41m、奥行20m、高さ17mあり、伽藍最大の建造物です。講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、これは南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したためです。大講堂の本尊には弥勒三尊像(重要文化財・白鳳〜天平時代)、後堂には仏足石、仏足跡歌碑(国宝・天平時代)が安置されております。仏足石の両脇に釈迦十大弟子(中村普也作)も祀られております  
唐招提寺とその周辺  
  唐招提寺 TOSHODAIJI-TEMPLE
 唐招提寺は天平宝字三年(759)唐の高僧鑑真大和上によって創建された。鑑真和上は聖武天皇の懇請に応えて来朝を決意されたが、十二年に及ぶ辛苦のさまは、井上靖の名作『天平の蔓』に詳しい。しかし遂に伝律授戒を果たされ、大和上の称号を賜った。のち我が国唯一の戒律専修道場として当寺が創立された。爾来千二百有余年、律宗総本山として法灯を今に伝えている。創建当初の姿を伝える金堂は代表的天平建築である
         
歴史の道 歴史街道 奈良市
雨の中「薬師寺白鳳伽藍」の興楽門を出て玄奘三蔵院伽藍に沿ってまっすぐ北に向かう。近鉄の車窓からアルミニウムの大きな建物が見えていたが、この道路からも行く手に白く光る大きなアルミニウムのビルディングが見える  
路側に建つ歴史の道石標
少し歩くとすぐに唐招提寺に到着した。南大門が境内への入場券売り場であった  
唐招提寺南大門
この門から真正面に解体修理中の金堂が見えた。
お願い:金堂解体修理のため・・金堂内陣の盧舎那仏と千手観音像、薬師如来立像(国宝)は修理工房に移しております
金堂北側の講堂で本尊弥勒如来像の他・・講堂内陣の諸仏は拝観できます
新宝蔵で特別展を開いておりますので御観賞下さい  
世界遺産 古都奈良の文化財 唐招提寺
世界文化遺産記念碑  
唐招提寺校倉(宝蔵・経蔵)
遺存例の少ない天平校倉、殊に経蔵はわが国最古の校倉として記憶されるべきである  
         
鐘楼
平安期の梵鐘がかかっている。これには「南都左京」という後世の追刻銘があって、歴然たる「右京」五条の地を誤刻したことがわかる。ほほえましい思い違いではある  
 講堂
堂内には本尊弥勒如来(鎌倉時代)持国・増長二天(ともに奈良時代)を安置する
旧開山堂・礼堂東室
三面僧坊東室の遺構(鎌倉時代)で、南半分は解脱上人釈迦念仏会の道場(礼堂)に改造されている。僧坊は上代寺院が全寮制の学問寺だったことを示す名残で、かって多くの律僧たちが戒律きびしい起居をしたところである 
礼堂東室・朱印所