2006 諸国筆頭・あやべ安国寺もみじまつり

承前 安国寺 国指定の重文の仏像撮影について  
  もみじ祭りに先立って、諸国安国寺の筆頭・足利尊氏生誕の地、あやべ安国寺の国指定重要文化財である「木造釈迦如来及両脇侍坐像(3躯・ 彫刻・南北朝時代)」「木造地蔵菩薩半跏像(1躯・彫刻・鎌倉時代)」を写真に撮りました。 
下記は、綾部の文化財を守る会事務局長:四方續夫氏とのセッション記録です。
○S氏より撮影依頼メ−ル
11月7日(火)午前時10時安国寺へ駒札代金半額持参し、牧野寺総代に渡します。その節、指定重要文化財の諸仏撮影を要請しており、小生のデジカメでは心配です。綾部市資料館近澤館長へCDで渡す予定ですので、貴兄の良いデジカメで撮影をお願いできませんか?
○私からの返信メ−ル
京都国立博物館の見学中にちらっと専門家の美術撮影(仏像)の現場を目撃しましたが、当時は関心がなく良く見ませんでした。明日は、デジカメ、三脚、レリ−ズを持って行きます。銀塩カメラもありますがフィルムなしです。フラッシュを使うのでしょうか?
要するに普通に撮るしか方法も経験も皆無です。近澤館長様にそうした美術品撮影の手引き書、講習会、実地見学などの機会の有無を聞いておいてください。でないと後で使い物にならないのでは?印刷用の写真とHP用(記事)の写真とは、次元が違うと思います。
○撮影後の連絡メ−ル
安国寺お世話になりました。
(a):手ぶれ補正レンズを使い撮影しました両脇侍仏(文殊・普賢菩薩)をはじめ、斜め横から撮りました仏像、産着など殆ど全滅でした。思ったより暗く長時間露出になりました。やはりしっかり三脚を据えて撮らないと駄目でした。内蔵ストロボでは距離があり届かず、大型のフラッシュが必要なようです。ただそうなると影が際だつので、ソフトなライトアップがベストのようです。内蔵ストロボを使った写真の方が少し金色が増し暖かみのある感じになりました。どちらを採用するか悩むところです。この写真はフラッシュなしの方です。(b):小型カメラの撮影の方はまあまあでした。
次回に撮るときは、この失敗から学べそうです。やはり実地経験不足でした   
  ○S氏よりの返信メ−ル
7日はご苦労様でした。とりあえず「綾部の文化財日誌」には小生撮影のもので入力しております。文は良いと思ってますがチェックも出来てません。貴兄が以前取られた安国寺とリンク宜しくお願いします。貴兄の撮られた良い写真と入れ替え登録願います。
 尚、研修旅行の募集は締め切っておりますので、この欄へ「諸国安国寺の筆頭・綾部の安国寺もじ祭りは11月18日(土)開催・請うご期待」等の題でバー(綾部市資料館第14回特別展)のように入れていただけませんか。綾部を売り込みたいのです。
○私からの返信
安国寺の釈迦三尊のバックに、掲示板の紅葉よりも日誌の方の赤い橋のある紅葉をあしらいました。モニタ−のサイズにもよりますが、17インチ・モニタ−では、きっちり決まっています。最高のHPのTOPペ−ジになりました。
○S氏からの連絡
関係各所へ貴兄の入れられた仏像のホームページを渡したところ、プロ並で誰の撮影かよく訪ねられます。ホームページ委員長のNさんだと本名を言っております。又、医王寺の国重文にも撮影をお願いしたかったのですが、余りにもと思い、小生のカメラで撮り部分修正をして頂き感謝します。
○私からの返信メ−ル
Sさま。>プロ並で・・なんてとんでもありません。自然光で撮った方のが格調があって良かったようです。内蔵フラッシュを使った方はやはり金色が少し強くなり、暖かみが出ましたが、自然光とどちらを選ぶか迷いました。内蔵フラッシュでは、あの距離では充分に届かないので、もっと大型のストロボが必要かと思いますが、影が出来ると不味く、きつい感じになると思います。京都国立博物館で見かけたように複数の照明灯を用い、さらに反射板まで使ったり、白沙を使ったりして、専門家は光線の当たり方を工夫されているようです。 
手ぶれ防止レンズなので、両脇侍をフリ−ハンドで撮りましたが見事失敗でした。やはり暗いところのスロ−・シャッタ−には、三脚が必要と思います。小型カメラの方なら撮れたと思いますが、時間が無く使いませんでした。失敗でしたが今後の撮影の良い勉強になりました  
国指定重要文化財:「木造釈迦如来及両脇侍坐像(3躯・ 彫刻・南北朝時代)
 釈迦像を中尊に左右に文殊・普賢を配す。文殊は獅子、普賢は象に坐乗する。
三尊とも玉眼で品位あり。中尊の端正な表情は鎌倉時代の特性を伝えている。

この三尊像は歴応四(1341)年、円派の仏師豪円により、安国寺筆頭となる当寺の本尊として刻まれた傑作である  
国指定重要文化財:「木造地蔵菩薩半跏像(1躯・彫刻・鎌倉時代)
 寄木造・彩色(今は剥落)で温和な藤原式の勝れた仏像。左手に宝珠、右手に錫杖を持つ。右足を垂れた半跏が特徴。 肩の張りと胸元の安定した姿態に平安中期彫刻の優美さが感じられる。

上杉清子はこの像に祈願して足利尊氏を生んだとか。それ故に、現在でも子安地蔵として尊崇されている
 諸国・安国寺の筆頭の文化財」 綾部の文化財事務局長:四方續夫氏 
 京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)安国寺町寺の段1番地にある「景徳山 安国寺 臨済宗東福寺派」は文化財の宝庫です。国重文4点、京都府指定文化財2点、京都府登録文化財2棟、綾部市指定文化財1点があります。又、綾部随一の紅葉の名所で知られ、例年11月の第3土曜日に「安国寺もみじ祭り」が催行されます。今年は11月18日(土)がこの祭り日です。近畿自動車道舞鶴・若狭道の「安国寺IC」を降りると、足利尊氏公の銅像があり、無料の駐車場もあります。大型バスの駐車場からは歩いて3分です。尚、当日は午前11時からセレモニー開始で、紅葉に加えて、有名な位田高城(いでんたかしろ)太鼓午前11時20分〜、琴と尺八は村田社中で午前10時〜午後3時まで演奏、野点・もちつき、模擬店も「うどん、弁当、ジュース、ビール、酒、あんもち、あべかわ、やきいも、地元産品等」が販売されます。滅多に見られない国の重要文化財「木造釈迦両脇侍坐像」が無料で公開され、
藤本住職が案内されます。尚、この安国寺は、正歴4年(993)ころに地蔵菩薩を本尊として、開創されたと伝えられ、もとは光福寺と称した。建長4年(1152)勧修寺重房が上杉荘を賜り、これより「上杉」を姓とするようになった。その「上杉の姓」は関東管領から、かの越後国の上杉謙信公に引き継がれたことは、ご承知と思う。その後、嘉元3年(1305)足利尊氏公の生誕によって当寺は上杉氏・足利氏の尊崇を受けるようになった。歴応元年(1338)足利尊氏公は夢窓疎石の勧めによって、元弘の戦乱以降に亡くなった多くの戦没者の霊を慰めるため、国ごとに安国寺・利生塔(りしょうとう)を建立するにあたり、光福寺を丹波の安国寺とし、諸国安国寺の筆頭においた。康永元年(1342)尊氏公は、南禅寺に住した天庵妙受禅師を招請して安国寺の始祖とし、多くの寺領を寄進した。それ以降、塔頭(たっちゅう)16、支院28を有する大寺院であったが、江戸中期に至るまでの間に、大半の寺領は押領されて、塔頭・支院は減少したが、いまなお多くの重要文化財、府・市指定文化財,重宝等を蔵する名刹である
 
         
テレビでも紅葉の名所として放映される安国寺仏殿をバックに   彩りなす紅葉、仏殿を背景に   彩りなす紅葉が緑の水面に映える 紅葉を背景に記念写真を撮る人々   見事な紅葉を写真に撮る人々  
景徳山安国寺
 当寺は今から千年程昔、平安時代の名僧恵心僧都作とされる地蔵菩薩を、この地に祀った光福寺に創まると伝え聞く。
その後鎌倉時代に、六代将軍宗尊親王の側近勧修寺重房丹波上杉荘を拝領して上杉と改姓、当寺を氏寺とした。
上杉重房孫清子は、足利貞氏に嫁して尊氏を出生。その尊氏が室町将軍となって幕府を開いた。彼は国土安穏戦没者供養を発願、国毎に一寺一塔を建立した。その折尊氏は、自分の出生地である丹波の当寺を、その筆頭「安国寺」とした。
安国寺は、足利尊氏が元弘元年(1331)に後醍醐天皇が企てた鎌倉幕府討伐のための、いわゆる元弘の乱から後の戦死者について、その霊を弔うために夢窓疎石の提案で発願し、全国六十六ヶ国二島に一寺一塔の設置をすすめた。
光厳上皇の院宣をあおぎ寺は安国寺、塔は利生塔と称した。丹波綾部はその筆頭であり、山城の安国(北禅)寺では一休宗純(一休さん)がいたことで有名です    
京都府指定文化財:安国寺仏殿・方丈・庫裏(各1棟・建造物・江戸時代)
参拝の中学生たち 
 現在の仏殿は寛保三年(1743)に完成したことが、仏穀内部の虹梁に貼付された梁札銘によって
知られる。床は四半敷とし、側廻り一間を化粧屋根裏として海老虹梁でつなぎ、中央前寄りの柱を虹梁と大瓶束で抜くなど、禅宗独得の手法をうまく応用した貴重な建物である。

方丈は正規の六間取りで、桁行15.8米、梁行11米、一重、入母屋造、横瓦茸で、寛政六年に上棟、庫裏は桁行14米、梁行8米、一重、一部二階、入母屋造、妻入の建物である
紅葉
紅葉を愛でながらお茶をいただく 
         
お茶席が設けられている   お茶をいただく 表千家の人々による野点   野点  
京都府登録文化財:安国寺山門・鐘楼(各1棟・建造物・江戸時代)
安国寺山門は四脚門(よつあしもん、・又は、しきゃくもんともいい、正背面の柱間が一間の門で、本柱の前後に二本づつ、計四本の控柱のある門の形式)で、切妻造、本瓦葺、左右袖塀附属。棟札があって、上梁天保十四寵舎発卯三月十一日の記がある
鐘楼
桁行梁行とも一間の建物で一重、切妻造、桟瓦葺で、棟札によると山門と同じく、天保十四発の記がある
       開山堂(正賓庵)・開山堂山門(山家城主谷家の門) 
仏殿に向かう参道脇には接待のテントが並ぶ   鐘楼の脇には屋台店が賑わう    紅葉 康永元年(1345)尊氏は、南禅寺に住した天庵妙受禅師を招請して、安国寺の始祖とし、多くの寺領を寄進した
綾部市指定文化財:宝篋印塔 3基・建造物・南北朝時代上杉清子(生母)・足利尊氏・赤橋登子(妻)
境内の開山堂右側に建つ。三基とも無銘。中央の塔は完形だが左・右は一部に欠損あり。南北朝期の特色ある仏塔。
この三基は古くから足利尊氏母子の墓碑とされている。向かって左側に母堂清子(1342年没)、中央が初代尊氏(1358年没)、右側に妻登子(1365年没)。二代将軍義詮が父母等の没後に遺骨の一部を当地に迎え建立したと云う   
開山堂と宝篋印塔 3基   お堂