2004-08 由良川の四季  綾部大橋  久田山古墳  笠原神社 由良川下り下見

丹波を流れる母なる大河:由良川。HP四つ尾山の四季:山と峠。に加えて新しいジャンルで紹介します。なべちゃんの散歩道シリ−ズとも重複しますが、由良川河畔はこちらで紹介の予定     
         
味方井関を流れる水流   川幅一面に白波を立てて、段々を川水が下る   味方井関、この上流は広々とした水面で、ボ−ト遊びも出来る   井関下流からの全景
綾部大橋が見える。市内に入る一方通行の車道で、大本節分祭の人型流しは、この橋の上から行われる。大本では由良川を和知川と呼び、弥仙山と和知川を毎朝の祈りの言葉の中で、たたえられている
         
綾部大橋が見える  由良川上流、現長の前から撮影。二つ並んだ伊根山と大師山が仲睦まじい   今は冬だが夏には、カヌ−やボ−トが見られる   川幅が広いので、水の流れは味方井関まで殆どゆっくりしている。山家からの由良川下りも此処まで来ると手で漕がないと進まない。夏日に蛇が対岸の味方の森をめがけて泳ぐのを見かけたこともある   綾部大橋を現長前の石畳におりて撮影  
         
橋の川上,並松河畔から撮影。川水が濃い緑に染まっている   川面に水鳥が遊んでいた。
sony cyiber shot カ−ドサイズカメラのフリ−ハンド撮影。
遠望風景です  
水面に浮かんでいる丸太?に止まっている。
綾部大橋の上から遠望。
黒いのは川鵜か?  
離水の瞬間   カメラを構えたら逃げていった  
    昔からある綾部大橋。西行きの一方通行。大型車も通れない。橋の出入り口に高さ制限の鉄梁が渡されており、選挙カ−が上に付けた候補者の看板を引っかけて落とし、選挙運動初日にして落選のゲンの悪さを感じる所。
東側が少し高いのでぎりぎり入ったワゴン車が西側で出られず。タイヤのエアを抜いて脱出の光景も見られる  
   
遠くへ飛び去る。望遠レンズ交換のデジカメが欲し   下流からの綾部大橋   綾部大橋下流。さざ波が広がっている  
  川面の写る綾部市民センタ−(裏側)
移転前は、飛行機の格納庫だった由、格好の悪い真四角な建物ではある。
一階中央に市民ホ−ルがあり、中丹文化会館に次ぐ収容数をもつ(ステ−ジ、階段席)
ホ−ル周辺の部屋は、綾部自治会、体育協会などの事務局が入っている。
二階は体育館。バレ−コ−ト2面が取れる。シ−トを敷き総合文化祭、ふれあいバザ−ルなどの会場にも使われる。旧町内にあり歩いて集まれるので便利  
 綾部市民センタ−の裏側に一郭を設けて二つのモニュメントが立っている。
記念塔の建設
綾部井堰水利組合が土地改良法の改正で解散、綾部井堰土地改良区を設立、改良事業誌を編纂、刊行するに至った。それ等を記念し記念塔を建設
晴れわたる空を まみずの 尊さを想う
近藤翁顕彰碑 昭和10年建立
和知川(由良川)の改良に貢献した人か?綾部史談会の山崎巌先生に伺っておく。   
  綾部井堰堰堤工事
昭和28年9月の大洪水に堰堤が全部決壊したので、災害復旧事業として
建設省の査定を受け綾部市が施工する。

堰堤長:212.3m 幅員:45m
総工費:113,01千円 にて完了する。
岩をも打ちくだく水 しばし砂中を むげに歩む
舞鶴のバスの屋根に取り残され由良川の濁流に耐えた報道など、昨年の台風23号も大きな被害をもたらし、福知山市に洪水記念館が建てられ洪水の歴史資料を保存する報道がされている。
「28水」と呼ばれる洪水では、由良川の湾曲部であるこの辺り一帯:並松の堤防が決壊し、市街地に水がまともに流れ込んだ。綾部市街のかなりの土地が冠水する大被害となった   
前回「近藤翁顕彰碑」について、綾部史談会の山崎 巌会長に問い合わせると記述したが、電話したがお留守であった。
丹の国綾部 第4話 九鬼氏と綾部の人々より
http://www5.nkansai.ne.jp/users/nbcayabe/kaiki/kuki.htm
に九鬼藩士で由良川改修に功績のあった近藤代官(近藤勝由)のことが書かれているので紹介する

綾部藩と由良川
 九鬼氏の治世をしのぶとき必ず思い出されるのは、丹波にとって母なる大河由良川である。山間の地に 塞せしめられた日本水軍の総帥九鬼氏の郷愁をなぐさめた由良川は、古来郷土の文化、産業、経済、交通その他あらゆる社会事象の母胎をなして来た。明治までの日本海表日本への物質の運搬はほとんど、大島福知山由良湊を経て通船で行われた。川筋の村々には船舶があり、庄屋は船問屋役をかねて大いに繁盛した。
 ”位田、栗村、大島、高津、人の情けのない所”と、いまだに人々の口にされるのは、川筋の村々にとって度重なる洪水との戦いと、通船による商いの活発化によって、綾部人としてはどちらかといえば、きびしい合理性を身につけていたためと推察される。

丹波からの下り船は、茶、木綿、うるし実、木材、竹、桐油美、木炭、楮三つ又、こんにゃく、柿、大豆等であり、上り船は酒、油かす、干いわし、塩等であった。

由良川水路が商業交通路として重要であったことは、京都、長柄屋治兵衛が宝暦九年(1759)に由良川と保津川とを運河で結んで京阪神と北国の物産とを直結しようと計ったことでもわかる。
 由良川の水を治めて五穀豊穣を願う心は、古来から綾部領主の願う処で、並松の景勝を作る綾部井堰、義人吉次郎の物語も悲しい位田井堰は、両丹最大の灌漑施設で、その建設年代も定かでない。九鬼隆季公が寛永十年(1633)入部された時の陣屋古図にはすでに井堰用水路が描かれており、それ以前の記録はないが、井倉八幡宮の社伝には、平氏の施工と伝えられており、福原新都の大工事をなしとげた平氏の実力からして、正歴寺熊野新宮社ゆかりの重盛公がなされたとしても、少しも不思議ではない。

領民の幸せを願う九鬼氏の心は、この井堰の改修にはたえず力をそそぎ、井堰中興の祖と仰がれる近藤代官(勝由)の名と共に綾部人にとって忘れてはならないものである。
 ”綾部川の水のひびきの中にきく
 人の心の高きしらべを” 吉井 勇
 古代より悠々と流れ、大地を潤し、時には氾濫して人々を恐れせしめ、また舟を通わせて他国の物産と情報を伝え、丹波ラインに並松に私達の心を和ませてくれる由良川は、綾部のことを次の様に語ってくれる。
 「出雲文化の土壌の上に大陸の文明が融和して高度な民力を養い、強力に流れ入る平安文化は更に伝統に磨きをかけ、足利尊氏を生んだ誇り高き里は、平和な二百三十年の九鬼氏の治世を経て、初めて郡是と大本による綾部ナショナリズムの第一の開花を見るのである」と。
         
丹の国綾部 挿絵写真より     
         
川糸樋管 樋門放水路 排水   川糸樋管 樋門放水路 排水
上記の樋門の百メ−トル程下流にあり、こちらは用水路の中に設けられている  
綾部井堰の取り入れ口
綾部の市街化区域と農業調整区域の境を流れる綾部用水  
灌漑用水取り入れ口から上流を見る。この3月18日に国の登録有形文化財(建造物)に指定された綾部(大)橋が見える   2重になった堤防の間を用水が流れる
         
用水路は新丹波大橋をくぐって市民グランドの方へ流れていく   天気が良かったので友人をさそって、由良川に遊ぶ水鳥の写真を撮りに行った。友人は右手指先からブドウ状球菌が入ったということで、手が腫れ手術をされていた。まだ包帯がとれず右手の手指が使えない状況で不自由そうだ   300ミリの望遠レンズカメラを持っておられ、カメラ店に寄りフイルムを買い、由良川並松井堰にまわった。やはり望遠レンズは大きく撮れる カヌ−もこぎ出していて、文化財となった綾部大橋の真下をくぐってUタ−ンしていく。水鳥は井堰近くで浮かんでいた    撮影したフィルムをカメラ店に預け、30分後にとのことで、コ−ヒ−ブレイクのあと戻ると現像、ベタ焼きが上がっていた。6枚ほど指定するとすぐに焼いていただいた。画面の1/4をトリミング拡大写真。自宅でそれをスキャナ−にかけて、さらにトリミングしたのが、これらの写真である。デジカメでなくても、時間的にも早いが費用は必要。大きな望遠つきのレンズ交換・デジカメが欲しくなった
         
ふじもと様
こちらは何時ものカード型SONY・CYBER・SHOTカメラ、フリーハンド最大ズームの写真です。5Mの解像度がありますが、1M(1280x960)で撮っています。
原図トリミングのみの画像です。5Mで撮ればもっと良い画像が得られるのかも?
フクヤカメラの梅原店主は、自然はミクロの分子で出来ているので、デジタルの解像度(ドット数)のあるデジカメよりも、ミクロ粒子で再現される銀塩写真の方が勝れている。拡大に有利とのことです。
 ところが昨日のように普通の焼き付け写真でも、スキャナーでデジタル化(600ドット:3200x2400など)すると、拡大には限界があります  
写真下手なのでバカチョン(フルオート)の撮り方しか出来ず、焦点深度もなにもない写真ですが、どうしたら上手に撮れるのかご指導ください。
この写真だけ少し撮影サイズより拡大しています。残りは撮影サイズ・トリミング  
昔LPレコード全盛時代に、ダイアモンドの針だとか、コンデンサーアンプとか、音キチがあれこれ云い、デジタル音が出現すると、本当の楽器の生の音は、デジタルで再現できない、アナログのレコード盤の方が勝れている。デジタル音は、音キチには欠陥品だの意見がありました。CD全盛時代の今日、この意見は全く聞かなくなりました?   銀塩写真の場合は、デジカメと比べてどうなのでしょうか。引き延ばしプリント作成の場合は、銀塩写真が絶対有利ですが、モニターで見る場合は、デジタル化は必至の要件ですし。20inchモニター解像度以上に繊細であっても、大型モニターを別にして意味がありませんし、またインターネット画像は、軽くないと駄目なので、bmp でなくjpg 画像に軽量化処理しています。
 また焼付写真自体の場合でも、カメラ店のソフトで、一度デジタル化してからトリミング、明るさ修正などして印画していると聞きます。
 今使っているカメラについても、分からないことだらけです  
         
吊り橋状のブリッジがかかるR173の新丹波大橋の下にカヌ−の艇庫がある。
味方側で神社もあ(ましり?)と呼ばれる。綾部高校に「カニュ−部」があり活動している  
文化財に登録された綾部大橋の下を遊泳するカヌ−。
京都国体では、上流の和知で「カヌ−競技」が行われた。
「丹波ライン」の渓流なので、和知からの遊泳も出来るのかも?  
この日は、赤、白、黄色の三艘が綾部大橋の下をくぐり何回も回遊していた   いかにも楽しそうだ   手作り筏で川を下る「由良川下り」の行事があるが、この静水面に入ると殆ど動かないので、ゴ−ルするまで一苦労する所である  
         
陽気で桜が一気に開花した。風光明媚な並松の由良川河畔を散歩する人も多く、
川岸でお弁当を広げる人も見える  
近くに綾高があるので、桜と水面に囲まれて昼食のひとときを過ごす生徒   今度文化財に登録された綾部大橋   上流には、仲の良い伊根山と大師山が並び、その下に吊り橋のワイア−が綺麗に見えるR173心胆場大橋が架かる   あやべ市民グランド、由良川土手に咲く桜、昼休みに近くのオフイスから花見に続々、手に手に食料を持って男女が繰り出してきた。先発隊は青いビニ−ルシ−トを土手に広げている  
         
JR鉄橋に向かって、桜のトンネルの土手を歩く     市民グランドとJR鉄橋 市民グランドから新綾部大橋   新綾部大橋    
    綾部市井倉町より福知山市前田まで近代的な用水路に構築
綾部・福知山用排水改良工事
昭和29年〜40年、13年間の府営工事
用水総延長:8611m 総工費:7、770万円
排水路総延長:7505m 総工費:13,394万円
綾部、福知山両市より特別助成
 昭和41年11月11日 竣工式典
「水は人々の 且つ 万物栄養の素」  
   
井倉用水水門
市民グランドの野球場とテニスコ−トの間にあり、この水門までは、味方井堰の取水口から入った由良川の水は市民グランドを夾む東西の2重堤防の外側下を流れて、この水門から堤防外に出る  
由良川河畔並松から対岸の紫水ケ丘ホテル綾部を見る   上流山家方面の風景  
カヌー練習風景    綾部の文化財を守る会の「祭り・行事の歳時記」の7月20日(日)9:00〜 由良川下り 山家大橋下〜新綾部大橋下までを補充取材するため、ゴール地点の下見に行った。
上陸地点は対岸の味方町笠原神社から由良川河川敷に下りた広場になっている。今日は復活させた自転車に乗り、健康づくりの運動を兼ねての下見に来た。順次距離を伸ばして「由良川下り」全コースの下見取材をする予定である。
         
綾部味方井関と用水取り入れ口水門
この井関があるので、並松町一帯は新綾部大橋までの流域が広く緩流となっている  
国登録有形文化財の綾部大橋」と広がる由良川上流を展望。一帯が風光明媚な景勝地である。
橋の下を周回するカヌーが見える  
綾部大橋下流側からここで周回するカヌーを見る   国登録有形文化財の綾部大橋」は,昭和4年(1929)竣工。ボーストリング・トラス橋(ポニー曲弦)としては日本最多の経間をもつ立派なものである。日本土木学会が選定した「日本の近代土木遺産2800選」の中でもAクラスの指定を受けている   対岸の紫水ガ丘に建つホテル綾部と上流に向かい漕ぐカヌー  
この由良川の清流で「カヌー」の練習をしているのは、京都府立綾部高等学校カヌー部の生徒たち。天気の良い午後の部活風景は、由良川河畔を散策する人に素晴らしい風情を覚えさせる  大地の母なる大河:由良川の自然に愛でられてカヌーが行く
         
カヌーが3艘   カヌーが2艘   カヌーが3艘   カヌーが4艘   ひとり揺ったりと漕ぐ  
斜めに架かったワイヤーの綺麗な斜張橋、昭和63年(1988)9月竣工の新綾部大橋味方井関上流の広い緩流水面はここまで。この由良川上流は和木山家方面で、「丹波ライン」と呼ばれる急な水流となる   
         
カヌーが6漕、橋の手前で回頭中なのが見える カヌーが6漕   カヌーが3漕   カヌー4漕   すれ違うシングル二人乗りのカヌー  
10艘以上のカヌーが味方井関で出来た新綾部大橋綾部大橋の間の広い緩流水面を往復している。監督の先生がストップ・ウォッチで計測し、メガホンでカヌーの漕ぎ手に向かって叫び、指示を出していられる    
         
京都府立綾部高等学校カヌー部の生徒達
練習を終えて自分のカヌーを担いで川岸の石段を上がる部員。 道路脇の倉庫にカヌーの艇庫が設けられている  
         
カヌーを担いで石段を上がる  練習を順次終えて上陸の準備   カヌーを持って上陸   川から道路まで石段を上る    まだまだ練習中の部員も多い
由良川下り取材下見   綾部の文化財を守る会の「祭り・行事の歳時記」の7月20日(日)9:00〜 由良川下り 山家大橋下〜新綾部大橋下までを補充取材するため、ゴール地点の下見に行った。
上陸地点は対岸の味方町笠原神社から由良川河川敷に下りた広場になっている。今日も復活させた自転車に乗り、健康づくりの運動を兼ねての下見に来た。
国登録有形文化財の綾部大橋」は,昭和4年(1929)竣工。ボーストリング・トラス橋(ポニー曲弦)としては日本最多の経間をもつ立派なものである。日本土木学会が選定した「日本の近代土木遺産2800選」の中でもAクラスの指定を受けている。    
         
国登録有形文化財の綾部大橋 綾部大橋から上流の水面の広がりを見る 笠原神社まで堤防道路がある。綾部大橋際に車止めがあり乗り入れは不可 この川岸に下りられる。ここが「由良川下り」に参加した筏や舟のゴール地点   対岸に正暦寺が高台に見え、正面の参道石段に続く由良川に下りる石段が見える。ここがボート(カヌー)乗り場になっている
新綾部大橋(由良川下り取材下見)      
         
新綾部大橋から下流(西)を見る。寺山・四つ尾山、大本のある本宮山が見える 新綾部大葉祖から上流(東)、和木、山家方面を見る。
まだ川幅が広くながれも緩い  
味方町の国道交差点から国道173号線に架かる新綾部大橋を見る   斜めに架かったワイヤーの綺麗な斜張橋、昭和63年(1988)9月竣工   橋の下から見る新綾部大橋由良川下りゴールの笠原神社はすぐ近くにある  
和木大橋(由良川下り取材下見)     
         
舞鶴に向かう国道27号線と由良川をはさんで平行に走る府道:「綾部−広野線」から由良川に架かる「和木大橋」を見る 和知方面に向かう府道:綾部−広野線和木大橋に向かって側道を下りると、JR山陰線が走っていて和木踏切がある 和木大橋から由良川の上流を見る 和木大橋から由良川の下流を見る
この辺りは丹波ラインの激流が見られる  
岩を噛む流れ、この激流に舟、筏を上手く乗りきらせるのが「由良川下り」の腕の見せ所  
由良川下り(山陰線列車と)    激流をくだる由良川下り(山陰線列車と)和木大橋から撮影
 グッド・タイミングでふじもと様から和木大橋で撮られた「由良川下り」の写真をいただきました。由良川と平行に走るJR山陰線列車も一緒に写されています。
由良川下り」取材の下調べで、ゴール地点の下から遡上して丁度この和木大橋まで来ましたが、20日の本番は、もう一つの行事である「口上林川まつり」の取材を行うこととなりました。またずっと以前にこの由良川下りの写真をたくさん撮りましたがデジタル写真でなく、良くてスライド写真であり、整理が悪いので目下行くへ不明で探すあても当面ありません。良い機会で投稿いただき心から感謝しています
  
山家大橋(由良川下り取材下見)   
         
山家大橋は国道27号線からすぐ側にあり、JR山家駅を結ぶ交通要所である。JRの踏切を越すと、府道:綾部ー広野線が走っている。どの道路も鉄道も由良川に沿って綾部に到達する。
由良川下り」のスタート地点は、この山家大橋の上流側すぐ下で国道を信号で曲がり、橋までの位置から川岸に下りる  
橋の手前にある小さなお宮さん
坂巻水天宮 御祭神 天御中主命大神
天神七代(いざなぎ命、いざなみ命に至る以前) 日本史上最古の大神と伝えられる。
水難、火難、安産の守護神として、うやまわれている。
昭和8年福岡県久留米市より分祠されて現在に至る。
鷹栖町自治会
 
お宮さんの後ろは工場((株)波多野鉄工所)になっている   由良川の警報看板が立っている
上流21Kmに大野ダム、15Kmに和知ダムがあり、放流注意。
放流時には、サイレンによる注意報がだされる  
 
         
山家大橋から上流の由良川の流れ、中州が出来、左右に分流している   左(国道)側は白波の立つ激流 右(JR線路)側もかなりの水流。ほぼ中州で左右に2分されている   由良川下りのスタート地点は2分した水流も合わさり、穏やかな流れになっている   山家大橋から下流の由良川、このあたりは穏やかな流れで水面も広い  
         
由良川下りスタート地点から山家大橋を見上げる   スタート地点に下りる野道
鉄工所の横を通って下りる  
由良川に向かって川岸にコンクリートの空き地がある。
ここで由良川下りの乗り物の準備をする  
写真左から船、筏、タイヤなど用意した乗り物を川に下ろし、乗り込む。
穏やかな水面が広がる
すぐ上流は白浪を立てる激流が迫る
初秋の由良川周辺      
秋の気配を探しに由良川河畔を散歩した。つるべ落としの夕暮れまでまだ少し 由良川の清流も秋晴れの下、豊かに静かに広がっている   白瀬橋たもとの「由良川花壇公園」から教会を借景に      
由良川の四季  紅葉の頃       
         
由良川河畔から見る平和塔 シティ・ホテル綾部   由良川の清流と彩りの山   綾部大橋の上部にR173号に架かる丹波大橋のブリッジ    
由良川の四季  淡雪とけて    淡雪が降った日の由良川、たくさんの水鳥がいたが、カメラの視野から遠く、藪で近寄れないところにたむろしていた   
         
並松井関で見つけ撮影  おまえなんか知らん   滔々と井関を流れる由良川 新綾部大橋を車両が行き交う。遠くの山は積雪で白い   白雪で薄化粧をした弥仙山  
綾部大橋 (国登録有形文化財)
・鋼製7連トラス橋
・橋長210m・幅員5.2m
・由良川と昭和初期の風情
 綾部大橋は、綾部市が市街地の東方、府道広野綾部線が由良川を渡る地点に架けられた道路橋である。1スパン約30mのボーストリング・トラスを7つ連続して架け渡している。
 ボーストリング・トラスは、ドイツのハーコート社が開発したプレハブ橋で、我が国でも各地で架設されたが、現存するものは少ない。この綾部大橋は、静岡市安部川に架かる安部川橋〔大正12年(1923)・14径間〕に次ぐ多径間のものである。
 綾部大橋は、現役の道路橋として活用されており、由良川の昭和初期の風景を今に伝える貴重な橋である。
久田山からの風景   久田山H1号古墳:この古墳は直径豹18mの円形の古墳で南側に幅約10m長さ約7mの小さな「造り出し蛾」が付属することから帆立貝式古墳とも呼ばれるものです
由良川流域の平野部を見下ろす丘陵上に築造されていることから青野遺跡などに住居を構えていた豪族のお墓と考えられます。
この古墳の築造された年代は古墳時代中期、西暦5世紀ころ(今から1500年程昔)とされています。
久田山にはこのほか60基ほどの古墳があり、円墳のほかに方墳、前方後円墳なども見られます。
 久田山古墳群は、綾部市内では以久田野古墳群に次いで大規模な古墳群で、また最も保存状態の良い古墳群です。
 古墳=埋蔵文化財は、私達の祖先の歴史を知る上で失うことのできない貴重なものです。これらの文化財を大切にし、私達の子孫に伝えていくようにしましょう。綾部市教育委員会
         
いつもの散歩道は南の四つ尾山山麓からの風景なので、
今日は反対側の久田山からの風景です。
四つ尾山と綾部市街。太陽儀望遠鏡のドームです  
由良川流域が一望に見渡せます   大型望遠鏡ドームのある天文館「パオ」   影法師日時計:綾部市の市章「α」の形で中央に立つと、人の影を時刻として読み取る。
もくれん通り、神鍋山の火山弾などもある広場です  
久田山H1号古墳:この古墳は直径豹18mの円形の古墳で南側に幅約10m長さ約7mの小さな「造り出し蛾」が付属することから帆立貝式古墳とも呼ばれるものです 
笠原神社  綾部の文化財を守る会の「祭り・行事の歳時記」の7月20日(日)9:00〜 由良川下り 山家大橋下〜新綾部大橋下までを補充取材するため、ゴール地点の下見に行った。 上陸地点は新綾部大橋の下流にある、笠原神社から由良川河川敷に下りた広場になっている。
         
笠原神社鳥居   笠原神社本殿
祭神:大名持命
本殿右側の飾り板 唐獅子と牡丹の彫り物 笠原神社本殿左側の飾り板 鷹と松   小宮 雨の宮大神
         
         
荒神宮  稲荷社 狛犬    狛犬 灯篭 天保十二年八月吉日