2007 紅葉の醍醐寺 文化財研修記

綾部の文化財を守る会秋の研修旅行は、暖かい好天に恵まれ、バス2台84名の参加を得て、紅葉の醍醐寺御香宮神社伏見稲荷大社を訪れた。私はいつものように写真係を務めた  
醍醐寺  真言宗の宗祖・弘法大師の孫弟子にあたる理源大師・聖宝は貞観16 (874)年、醍醐山上に草庵を結び、准胝・如意輪の両観音像を彫刻し、堂宇に安置した。これが醍醐寺の始まりである。
 開創後、醍醐、朱雀、村上の三帝の深い帰依によって、次々に堂塔が建立され、天暦5(951)年には五重塔が完成。山上山下にまたがる大伽藍が整った。
 開山以来、醍醐寺は日本仏教史上枢要な位置を占め、伝えられたものの多くは国宝や国の重要文化財に指定されており、平成6 (1994)年には世界文化遺産に登録された。  
      醍醐寺国宝:唐門前にて Sony cybershot フリ−ハンド
1号車41名 SKYガイド:馬場 茂氏 バスガイドと共に
号車別に写真を撮る。一度に90名近くの人数を撮るのと異なり、40名余りだと非情に楽に撮れた。背景の建造物もいつもより低いが、被写体の人物列が中心より下部に並ぶので、ピントを人物にしっかり合わせる。
三脚使用の写真(Canon 30D)は、こちらです  
 
大型観光バス2台で  醍醐寺国宝:唐門前にて
2号車43名 SKYガイド:木村彰男氏 バスガイドと共に
Sony cybershot フリ−ハンド  
広い参道を醍醐寺仁王門に向かって歩く、春に来た時は、満開の桜並木が綺麗だった 
   醍醐寺  真言宗醍醐派の総本山。醍醐寺は弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝が、貞観16(874)年に創建した。山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った聖宝は、白髪の老翁の姿で現れた地主神・横尾明神より、こんこんと水(醍醐水)が湧き出るこの山を譲り受け、准胆・如意輪の両観音を刻み、山上に祀った。それが醍醐寺の始まりである。
 開創後、醍醐・朱雀・村上の三代にわたる天皇の深い帰依によって山上に薬師堂、五大堂、山下に釈迦堂、法華三昧堂、五重塔などが次々に建立され、山上山下にまたがる大伽藍が完成した。通称、山上を上醍醐、山下を下醍醐と呼んでいる。
 以後も、皇室をはじめ貴族や武士の支援を得て、三宝院をはじめとする諸院や種々のお堂が建立され、真言密教の中心的寺院として多くの信仰を集めている。
 しかし、長い歴史のなかで何度も火災にあい、文明・応仁の乱では五重塔を残して下醍醐は焼失、上醍醐も荒廃。 ながらく復興に至らずにいたが慶長3 (1598)年の春、豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」を契機に秀吉並びに秀頼によって金堂や三宝院、また、山上では開山堂や如意輪堂などが再建された。
 江戸時代に入ると、醍醐寺歴代座主が居住する三宝院が、幕府より当山派修験の本山であると明確に位置づけられた。そのことにより、山への信仰が高まり、再び活気を取り戻していった。
 明治維新後の「神仏分離令」や「修験道廃止令」などの数々の法難で大打撃を受けたが、歴代座主の尽力により、開山以来、醍醐の教えは燈し続けられ現在に至っている。
 一千百有余年の歴史をもつ醍醐寺は、日本仏教史上枢要な位置を占め、長年護り続けられてきた寺宝類の多<は国宝、国の重要文化財の指定を受けている。平成6(1994)年にはユネスコの「世界文化遺産」に登録された。
  清流宮殿拝殿前にて、スカイ・ガイドさんより説明を聞く
清流宮本殿(重文)
 醍醐寺の鎮守社。永長2 (1097)年に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀った。その後、この社殿の前で清瀧会(桜会)が行われるようになった。なお、現在の社殿は永正14 (1517)年に再建されたもので、毎年4月1日から21日まで、清瀧権現桜会の様々な行事の中心となっている。  
     
清流宮本殿(重文)に向かい合掌   五重の塔に向かって、スカイ・ガイドさんより説明を聞く   五重塔(国宝)  
五重塔(国宝)
 醍醐天皇の菩提を弔うため、第一皇子・朱雀天皇が承平6(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5(951)に完成した。初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれている。高さは約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えている。  
         
五重塔 屋根の上の相輪  清流宮殿拝殿前にて 金堂(国宝)   見事な紅葉の参道を散策  
金堂(国宝)
 醍醐天皇の御願により延長4 (926)年に創建された。当時は釈迦堂といわれていたが永仁、文明年間に二度焼失した。現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長5(1600)年に完成した。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊である。   
  大構堂
 平安末ごろ製作された醍醐寺最大の丈六の木造・阿弥陀如来坐像が祀られている。その他に大日如来坐像や深沙大将、大黒天や地蔵菩薩が安置されている。    
     祖師堂
 真言宗を開いた弘法大師・空海と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した理源大師・聖宝とが祀られている。弘法大師の誕生日である6月15日には、盛大に降誕会が行われている   
 醍醐寺山門前の紅葉を愛でる 醍醐寺旧伝法学院  
     
紅葉の参道を歩く  池の周りの紅葉が見事   水鏡に反射して浮かぶ弁天堂   醍醐寺旧伝法学院    
  弁天堂
 紅葉やイチョウが色づく季節には、朱塗りの弁天堂が水面とよく合う紅葉の名所。弁天堂内には、音楽などの学芸や知識の女神である弁才天が祀られている。広く一般には七福神に加えられている。
 醍醐寺の紅葉の弁天堂 
一.純浄観(国重文)
 太閤秀吉が檜山で花見をしたときの建物を移築したものといわれ、内部の襖絵は、平成に入り浜田泰介画伯が桜・紅葉を描いた。
 その庭園の東南の奥に見える建物が「沈流亭」で、茶室である。茶室の出入口は「にじり口」が一般だが、沈流亭は「貴人口」なのでかがまずに出入できる。内部は三部屋に分かれ南側から上段・中段・水屋の間となっている。柱には棕櫚や栗などの珍しい木が使われている。
一.本堂(国重文)
 本尊は快慶作の弥勒菩薩である。よって別名「弥勒堂」ともいわれ、脇仏として向かって右に宗祖弘法大師、左に開祖理源大師が安置されている。本堂の裏に護摩壇があり「護摩堂」とも呼ばれる。
一.奥寝殿(国重文)
 江戸時代初期の建築である。違い棚は「醍醐棚」と呼ばれ、修学院離宮の「霞棚」、桂離宮の「桂棚」とともに「天下の三大名棚」と称されている。   
 真如三昧耶堂 涅槃仏像
 真如三昧耶堂
 もとは朱雀天皇の御願により法華三昧堂として天暦3(949)年に創建されたが、文明2 (1470)年に焼失。現在の堂は平成9(1997)年に真如三昧堂として建立された。
 平成9年9月11日に落慶した真如三昧耶堂は、間口4間、奥行4問、高さ10メートルの入母屋桧造り平屋建て。桟瓦葺き、扉は蔀戸とし建坪は20坪、敷地面積は100坪。建設地は金堂の東側、法華三昧堂の旧跡地。工法は、埋蔵文化財や史跡を保存する意味から、基壇をそのままに上を覆う耐圧盤方式。この方式は最新のもので、耐震性にもすぐれています。
 奉安される御本尊は金剛界大日如来、真如苑より奉迎する「真如教主謹刻によ
る涅槃尊像」、真如双親さまの御位牌と御縁をおまつりします。   
  醍醐寺唐門(国宝)前
 唐門(国宝)
 桃山時代のもので、三宝院の勅使門である。創建時は、門全体が黒の漆塗で菊と桐の四つの大きな紋には金箔が施されていた。    
     
三宝院山門  醍醐寺三宝院門内の松を手入れ中   全員集合して霊宝館に向かう  
 三宝院大玄関前にて
三宝院
 永久3(1115)年、醍醐寺第14世座主勝覚僧正の創建。現在の三宝院は慶長3(1598)年、豊臣秀吉により再建されたもので、唐門や表書院は国宝に、その他の建造物は大半が国の重要文化財に指定されている。また、桃山時代を代表する秀吉設計の庭園は、特別史跡・特別名勝に指定され、太閤秀吉の栄華を偲ばせる。
三宝院とその庭園
 三宝院は永久3(1115)年、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正の創建。醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊である。
 現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。中でも庭園全体を見渡せる表書院は、寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されている。
 国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長3(1598)年豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して、自ら基本設計をした庭であり、桃山時代の華やかな雰囲気を伝えている。

 醍醐三宝院(国特別史跡・特別名勝庭園)
一.大玄関(国重文)
一.葵の間(国重文)
 京都三大祭りである葵祭、祇園祭、時代祭りのひとつ葵祭の風景が描かれている。下鴨神社から上賀茂神社へ向かっている様子である。
一.秋草の間(国重文)
 秋の七草が点在する広々とした風景が描かれている。
一.勅使の間(国重文)
 ここの襖絵は竹林花鳥図である。桃山時代の作品で長谷川等伯に連なる一派の作といわれている。
一.表書院(国宝)
 下段・中段・上段の間がある。下段は別名「揚舞台の間」とも呼ばれ、畳をあげると能舞台になる。中段の間、上段の間は下段の間より一段高く、能楽や狂言を高い位置から見下ろせるようになっている。
一.表書院・襖絵(国重文)
 上段の間の襖絵は四季の柳を主題としている。中段の間の襖絵は山野の風景を描いており、長谷川等伯一派の作といわれている。下段の間の襖絵は石田幽汀の作で孔雀と蘇鉄が描かれている。
一.国の特別名勝庭園の、
 「亀島」は太い立派な五葉松が、島全体を覆っていて、亀の甲羅のように見える島がある。この松は雌松で樹齢六百年以上といわれている、天下の名木である。亀の「静寂」を表している。
 「鶴島」は亀島の西隣りにある島で、この松は黒松の雄松で、向かって左側の石橋が鶴の首にあたる。今にも鶴が飛び立とうとしている「躍動感」を表している。「賀茂の三石」池の手前に三つの珍しい形の石がある。向かって左の石は賀茂川の「流れの速いさま」を、中の石は「川の淀んだ状態」を、」右の石は「川の水が割れている様子」を表している。
 「藤戸石」は庭の中心に位置し、阿弥陀三尊を表している。歴代の武将に引き継がれたことから「天下の名石」といわれている。池の一番奥に「豊国大明神」が見える。是は太閤秀吉を祀る社。三宝院殿舎や庭園を整えただけでなく、五重塔の修復や金堂の再建など醍醐寺全体の修復に尽力した豊臣秀吉。その恩に報いるために建立された。  
  醍醐寺霊宝館の国宝・重文の参観を終えて
霊宝館
 国宝や重文だけで4万点、未指定の文化財を含めると、約10万点余りに及ぶ寺宝を収蔵。彫刻、絵画、工芸、古文書など、日本の仏散史や美術史上貴重な資料が収蔵されている。春と秋に一般公開を行っている。
世界遺産醍醐寺展−醍醐寺のかくれた逸品を拝観した。
 拝観した国宝・重文の絵画、工芸、書籍の一覧
 重文:舞楽図屏風、扇面散図、芦鴨図(宗達筆・江戸)、重文:線刻如意輪観音等鏡像(唐)、重文:線刻阿弥陀五尊鏡像(平安)、国玉:薬師如来坐像(平安)、国玉:日光菩薩立像(平安)、国玉;月光菩薩立像(平安)、重文:帝釈天騎象像(平安)、重文:閻魔天像(平安)、重文:阿弥陀如来坐像(平安)、重文:地蔵菩薩立像(鎌倉)、重文:吉祥天立像(平安)、重文:不動明王坐像(快慶作・鎌倉)、重文:不動明王像(平安)、重文:降三世明王像(平安)、重文:軍茶利明王像(平安)、重文:大威徳明王像(平安)、重文:金剛夜叉明王像(平安)、重文:銅造阿弥陀如来坐像(平安)、重文:如意輪観音坐像(平安)

重文:紺紙金泥大般若経巻第17伝菅原道真筆(平安)、重文:紺紙金泥細字三部経(室町)、重文:細字妙法蓮華経(室町)、重文:紺紙金字妙法蓮華経 附摩詞般若波羅密多心経(室町)   
         
この春に訪れた時の写真:醍醐寺霊宝館前の桜の参道
桜の紅葉も綺麗だ。  
雨月茶屋前にて 隣がバスの駐車場